Biography

JOTARO NONAKA Profile
[野中 丈太郎 / ノナカ ジョウタロウ]
EIKI NONAKA
(作家名:野中 英紀 / ノナカ エイキ) 

■INFODEC 一般財団法人 国際文化振興財団 理事長 (2012年10月~現在)
■番組ナビゲーター "JOTARO NONAKA SHOW" on Crimson FM / 楽天FM (2016年7月~2016年12月)
■CLUB TV JAPAN 取締役 Chief Operative Officer (2015年4月~2016年8月)
■エフエム番組ナビゲーター J-WAVE: JAM THE WORLD 月曜日担当 (2001年10月~2015年3月)
■Puji Star Media Co.,Ltd. (本社 上海) 取締役 (2012年8月~現在)
■PUJI Capital Inc. (本社を中国・上海におく投資銀行) 特別顧問 (2009年~2013年)
■fashiontv (本社オーストリア・ウィーン。ファッション専門放送局)アジア担当アドバイザー(2008年~現在)
■株式会社 Fashion TV Japan 事業戦略担当 執行役員 (2007年~2008年)
■株式会社 スポーツステーション 代表取締役 (1998年~2006年)
■株式会社 ミュージック・シーオー・ドット・ジェイピー(現music.jp) 専務取締役 (1996年~1998年)
■メディアガーデン株式会社 代表取締役 (1994年~2006年)
■株式会社 スタジオ・ガレージ(現、デジタル・ガレージ) 副社長 (1992年~1994年)
■財団法人デジタルコンテンツ協会「プロデューサー育成に関する委員会」委員(平成15年度)
■総務省「デジタルコンテンツのネットワーク流通市場形成に向けた研究会」研究員(平成13年度)
■1985年度グラミー賞最優秀ニューエイジ部門ノミネート(Interiors/ Windham Records Winter Compilation Album)
■2020年度グラミー賞最優秀ヒストリカルアルバム部門ノミネート(Interiors / Kankyo Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980~1990)


1959:
1月生まれ。東京新宿にて幼少期を、以降父親の転勤に伴い、八王子、神戸、静岡などで小学校~高校1年までを過ごす。レコード・コレクターであった父親の影響で幼少からクラシックからジャズ、ポップス、ラテン、ロックまで幅広いジャンルの音楽に触れ、影響を受ける。

1975:
父親の転勤により、家族と共にブラジル・サンパウロに渡り、アメリカン・ハイスクール「エスコーラ・デ・イマキュレイト」高校二年に転入。

1978:
一時帰国。音楽を学ぶ傍ら、ギタリストの竹中尚人(Char)のアシスタント・マネージャーとして、同氏の音楽活動をサポート。当時、Charと活動を共にしていたGODIEGOのミッキー吉野氏の推薦を受け、米国バークリー音楽院への進学を決意。

1979:
バークリー音楽院“Berklee College of Music”(アメリカ、ボストン)に入学。ギターをメインに、現代音楽理論を学ぶ。

1982:
同校在籍中に一時帰国。この間、音楽知識と語学力を生かしチック・コリア、マイルス・デイビス、ブラック・ウフルー、パット・メセニー、ギル・エバンス、ロバータ・フラック、ジャコ・パストリアス、ウェザー・リポート等、海外ミュージシャンの日本ツアーにおける専属通訳を勤め、交流を深める。

1983:
当時「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を率いていた細野晴臣に認められ、アンビエント・ミュージックを手がけるユニット『インテリア』をBerkleeの同窓生と結成。日本でプロデビューを果たす。

アルバム『インテリア』を細野晴臣のプロデュースで国内発売(アルファレコード・YENレーベル)。『インテリア』はパーソナル・コンピューターをいち早く音楽に導入し、コンピュータと生演奏のアンサンブルによるライブを行う先鋭的ユニット。

同年、アメリカ西海岸に本拠地を置くニューエイジ・ミュージックのトップ・レーベル「Windham Hill Record/ウィンダムヒル・レコード」日本支社代表に就任。(~1988年)

1985:
「ウィンダムヒル」から、アルバム『INTERIORS』を、全米、ヨーロッパ、オーストラリア、日本にて発表。アメリカ国内主要都市のFM局にて、ヘビーローテーションとなり評判を呼び12万枚のセールスを記録。また、同アルバムからの楽曲が収められた「Best of Windham Hill '85」が翌1986年のグラミー賞ニューエイジ部門で最終ノミネートを受ける。  

1985~86:
YMO散開後の細野晴臣とテクノ・ファンク・ユニット『フレンズ・オブ・アース( F.O.E.)』を結成。インテリアズと同時進行で活動。F.O.E.ではアルバムを3タイトル制作。

アメリカを代表するソウル・シンガー、ジェームス・ブラウンを迎えて武道館、大阪城ホールでコンサートを行う。また、ブラウン氏をゲストに迎えて同氏の名曲「Sex Machine」のテクノ・ファンク・ヴァージョンを制作。野中は細野氏と共に共同プロデュースを担当。

1987:
『インテリアズ』として2ndアルバム『DESIGN』を「ウィンダムヒル」より、北米、ヨーロッパ、オーストラリア、日本にて発表。全米、ヨーロッパにおいて30万枚のセールスを記録。ウィンダムヒル・レーベルのアーティストと共に米国西海岸6大都市コンサートツアーを行う。

同年、世界的環境芸術家ニルス・ウドのレーザーディスク作品のサウンド・トラックを制作(発売インタービジョン)。

1988:
NTTトークの日「ニューエイジの光と影」ライブ&トーク・イベントへゲスト出演(原宿クエスト・ホール)。この模様はNTTの実証実験プロジェクトとして衛星さくら2号を通じ、新宿駅、渋谷駅、大阪駅前などJRの主要ターミナルにおいて巨大スクリーンで同時生中継された。

1989:
芝・増上寺の本堂において、ウィンダムヒル・レコード会長ウィリアム・アッカーマンや、細野晴臣らとコンサート。この模様はNHK衛星放送にて放映された。また、この頃からコンサート・イベントのプロデュースに着手。

1990:
オノ・ヨーコとともに、ジョン・レノン生誕50周年を祝うチャリティーコンサートイベント『グリーニング・オブ・ザ・ワールド』(Greening Of The World /G.O.W.)をプロデュース(主催:フジテレビ/協賛:三菱電機)。野中はシニア・プロデューサーとして、イベントの企画制作運営を統括。

12月下旬、東京ドームで2日間に渡り国内外のトップクラスのアーティスト(マイルス・デイビス、ナタリー・コール、レニー・クラヴィッツ、ホール&オーツ、忌野清志郎、内田裕也、細野晴臣、高橋ユキヒロ、久保田利伸、佐野元春 ほか)29組を一堂に会し、音楽を通して『地球の緑化』をアピールした。日本で行われた最初の大規模なチャリティー・コンサート。また、この模様はWOWWOW開局記念番組として放送。(8万人を動員)

同年、オノ・ヨーコ、ショーン・レノン、佐野元春、細野晴臣らをフィーチャーしたCD『ハッピー・バースデイ、ジョン!』(ポニーキャニオン)をニューヨークと東京でプロデュース。この作品は、ショーン・レノンの初の本格的なレコーディングで実質的なデビュー。また、このCDの為にオノ・ヨーコ、ショーン・レノンのビデオ・クリップをニューヨークと東京でプロデュース。

1992:
株式会社スタジオガレージ副社長に就任。(現、株式会社デジタル・ガレージ)キリンシーグラム「HIPS」のTVコマーシャルの音楽プロデュース。同時に、この楽曲をフィーチャーし、プロデュースしたCD『ガレージ・プロジェクト01』を発表(東芝EMI)。共同プロデュースはデビッド・ボウイのプロデュースで知られるナイル・ロジャースとカルロス・アロマー。

同年、「キクチ・タケオ・コレクション・ファッションショー」への出演と楽曲提供、およびNHK衛星放送「キクチ・タケオ・コレクション特番」の音楽制作+ライブ出演。

同じく92年、パイオニアが開発したLD-ROM『レーザーアクティブ』のために、各界を代表するアーティストやクリエーター達と共に『マルチメディア・クリエーターズ・ネットワーク(Multimedia Creators Network /Mm.C.N.)』を設立。(メンバーは発起人の野中をはじめ、映像作家の中野裕之、音楽家の細野晴臣、サウンド・エンジニアの小野誠彦、CGプロデューサーの伊藤博文、ビデオ・アーティストの川口真央、グラフィック・デザイナーの立花ハジメなど)

1993~95:
レーザーアクティブ3部作を制作。パイオニアより全米、日本にて発表。

■『3D MUSEUM』
レーザーアクティブの高画質・高音質を余すところなく活用した未体験の3Dワールドがこの『3D MUSEUM』。チーフ・プロデューサーは、今井美樹、ミスター・チルドレン、布袋友康、ディーライト、等のミュージック・クリップの制作で知られる中野裕之。野中はインタラクティブ・シナリオ、およびサウンド・トラックのプロデュースおよび制作を担当。   

■『MELON BRAINS』
人とイルカの関わり合いをテーマに、イルカの世界的権威の最新研究データ、そして美しい野生のイルカの映像が、レーザーアクティブの高画質・高音質・インタラクティブ機能をフルに活かして展開される。
現在のイルカ・ブームの先駆けと成った。野中は総合プロデューサーとしてプロジェクト全体の企画制作、およびサウンド・トラックの制作を担当。

■『GOKU』
古代より伝わる『七不思議』を、博物学、神秘学、幻想文学研究家である、荒俣宏氏の新解釈によって現代に復活させる、RPG型のエデュテイメント・ソフト。原作は荒又宏。チーフ・プロデューサーはNHKで「人体シリーズ」をプロデュースした伊藤博文。野中はインタラクティブ・シナリオの作成、製作統括を担当。

1993:
イギリスのスティーブ・ヒレッジのリミックスにより1985年に発売された『フレンズ・オブ・アース』のリミックスCD『RETURN OF F.O.E.』と『THE WORLD OF F.O.E』をテイチクよりリリース。共に野中自身のプロデュースによりロンドンで制作。

1994:
江ノ島で開かれた「第4回国際イルカ・クジラ会議」に、故ジャック・マイヨール、ピーター・ラッセル博士、故ジョン・C・リリー博士などイルカ研究の第一人者とともに出演。自らプロデュースした「メロンブレイン」を中心に、イルカをモデルにしたマルチメディアと人間の意識の進化をテーマに講演。

株式会社スタジオガレージ副社長辞任。
メディアガーデン株式会社を設立。代表取締役社長に就任。

1995:
世界的な海洋映像作家サトー・デンジロー撮影の『アロハ・ウェイブス(スピリチュアル・アース)』ビデオ+レーザーディスク(パイオニア)のサウンド・トラックをプロデュース。同作品は、マルチメディア・グランプリ'95 ノンインタラクティブ分野ビデオ部門映像特別賞を受賞。(主催・財団法人マルチメディアソフト振興協会/共催・通商産業省)

同年、初のソロCD『a-key』を発表(マーキュリー)。自身によるプロデュース、作曲、アレンジ、演奏(ギター、シンセサイザー、パーカッション、コンピュータ・プログラム、ヴォーカル)。コンピュータを駆使しつつも、ヒューマンな音作りを目指したネオ・インテリア・ミュージック。

1996:
株式会社モノリスが中心となって、国内外の有力企業、メディア関連会社、金融機関、政府関連省庁などによって構成され、マルチメディア・デジタル・プラットフォームを産学協同で開発するためのコンソーシアム、DPI(デジタル・プラネット・インスティテュート)に参加。DPIの経営委員に就任。

同年4月、株式会社ワールド「タケオ キクチ」ブランドの96年秋冬コレクション「ABSOLUTE MEDIA MIX」を総合プロデュース。ファッションショーのステージにバーチャル・モデリングなどマルチメディア技術を導入し演出。また、インターネットのオフィシャル・サイトも作成し、世界初のオンライン・ファッション・ショーを開催した。

同年11月、「株式会社ミュージック・シーオー・ジェーピー」のプロデューサーとして同社の専務取締役に就任。同社はNTT、ヤマハ、伊藤忠、第一興商等、50社が出資して音楽の次世代型ネットワーク配信を事業化するために設立されたもので、野中は同社のコンテンツ開発と併せて、テクノロジーセンターの責任者として、リキッド・オーディオ、TwinVQ、Real Video、InterLive、など様々な音声・動画配信技術を統合したmcj配信サーバー群の構築と、オンラインで著作権を管理する世界初の試みである「デジタル権利センター」の開発を統括する。

1997:
「株式会社スポーツステーション」を設立。代表取締役に就任。デジタル・ドメインにおけるスポーツコンテンツの企画開発、配信事業に着手。

1998:
3月、(株)スポーツステーションの業務に専念するため、株式会社ミュージック・シーオー・ジェーピーを辞任。

1999:
1~4月、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(株)のオンライン事業開発のコンサルタントとして、「TSUTAYA ONLINE」全体のビジネスモデルの策定、要素技術の選定、システム開発などのプロデュースに携わる。

同年3月、(株)スポーツステーションの技術協力会社である、ドイツのデータベース技術会社「Digital Collection」社の極東総代理店「株式会社スマート・アンド・スウィート」の取締役に就任。事業戦略を担当し、様々なマルチメディア・アーカイブ/データベースを基軸とした事業開発に携わる。

2000:
10月、企業の経理業務のアウトソーシングをネット経由で行う、ASP事業会社「株式会社データイー」の取締役に就任。

同年9月、三井物産の依頼により、株式会社セブンイレブン・ジャパンのEC事業を担う、株式会社セブンドリーム・ドットコム向けのスポーツ系コンテンツおよび商品供給プログラムの企画開発に参画。

2001:
2月~7月、総務省が主催する「デジタルコンテンツのネットワーク流通市場形成に向けた研究会」のメンバーとして、ブロードバンド時代に対応した映像コンテンツの著作権利処理センターの立案に参加。

同年9月、地球環境関連の知的財産権を事業化することを主目的とした事業会社「株式会社 地球環境情報センター」を設立。代表取締役に就任。環境省の外郭団体である(財)地球環境財団と共に地球環境関連の技術動向や法的な状況に関する情報を収集し、企業に対する環境的なコンサルティングの提供、また環境系の技術開発における知的所有権の管理および事業開発支援などの事業に着手。

同年10月、株式会社エフエム・ジャパン(J-WAVE)が放送するニュース番組「JAM THE WORLD」(月~金/20~22時放送)の火曜日担当ナビゲーターに着任。時事関連、政治経済、ハイテク関連情報を中心に、リアルタイムに世界の動きを伝える。

2002:
同年4月、(株)地球環境情報センターの事業として、暗号化技術の一種である「電子透かし」を利用した商品のトラッキングと真贋証明を行う認証シール発行管理システムの開発に着手。

同年8月、電子決済に特化した銀行として設立された「イーバンク銀行株式会社(現楽天銀行)」の法人営業開発支援業務に着手。

2003:
3月、「株式会社イイギフト」を設立。「電子商品券・電子クーポン券などの発行管理サービス」の事業開発に着手。

2004:
6月、東京放送(TBS)との業務提携に基づき、同社の放送する番組の知的財産権を利用したマーチャンダイジング、サービス開発、商流開発などを行う事業に着手。事業パートナーは三井物産。

2005:
6月、「攻殻機動隊」など、押井守監督の作品で知られる株式会社プロダクション I.Gと業務提携し、同社の持つコンテンツの知的財産権を利用したマーチャンダイジング、サービス開発、商流開発の事業に着手。

10月、本プロジェクトの第1弾として、渋谷パルコミュージアムにて「Production I.G展」を開催。主催はパルコ、プロダクション I.G。協賛は、リーボック・ジャパン、日本レースプロモーション。

12月、名古屋パルコミュージアムにて、「Production I.G展」を開催。

2006:
7月、イタリアの高級食材を取り扱う専門商社「株式会社ユニパックス」と特約店契約を締結。同社の商材の日本国内におけるマーケティングをサポート。第1弾としてテレビショッピング大手のQVC JAPANとの販売契約をコーディネート。

2007:
4月、株式会社Fashion TV Japanの事業戦略担当執行役員に就任。世界202カ国/地域で視聴されている、ファッション専門の放送局「Fashion TV」の日本での事業開発に着手。

2008:
12月、株式会社Fashion TV Japanの執行役員を退任。東京を中心に、ファッション・エンターテイメント・コンテンツの国内・国外市場における配信に関わる事業構築をスタート。

2009:
1月、オーストリア、ウィーン市に本社を置くfashiontvの創業者・オーナーである、Michel Adam氏の要請で、アジア担当アドバイザーに就任。東京を拠点に、中国、韓国、香港、台湾などの地域におけるFTV関連の各種ライセンスの事業開発を担当。

2009:
9月、上海をベースに、北京、香港、シンガポール、台北、東京で事業を展開する投資銀行「PUJI HOLDINGS」の特別顧問に就任。同社の関わる様々な案件の取りまとめに携わる。

2012:
8月、上海の「Puji Capital」と、香港を拠点にアジア全域をカバーする衛星放送テレビチャンネル「Star China」の合弁事業会社として設立された「Puji Star Media Co.,Ltd」の取締役に就任。Star Chinaで放送する様々な番組コンテンツの企画開発や放送ライセスの取得など、北米、日本を対象に幅広く展開。

2012:
10月、(財)国際文化振興財団(INFODEC / International Foundation for the Development of Culture)の理事に就任。バチカン図書館に収蔵されている手書きのマニュスクリプト8万冊140万ページの、超高画質デジタル・アーカイブ事業「DIGITA VATICANA」に参画。

2015:
4月、株式会社CLUB TV JAPANを立ち上げ、取締役/Chief Creative Officerに就任。7月1日から、スカパー!プレミアムサービスCh.541にて、日本で初めてと成る”クラビング”をテーマにした専門チャンネル「CLUB TV」の放送を開始。

2015:
7月、(財)国際文化振興財団(INFODEC)の理事長に就任。10月にバチカン市国を訪問し「DIGITA VATICANA」への支援事業を開始。

2016:
7月、楽天市場が東京FMと共同で立ち上げた新しいステーションCrimsonFMで「JOTARO NONAKA SHOW」をスタート。

2017:
2月~6月、バチカン図書館に収蔵されている「ウルビーノ聖書」のスキャンデータを利用したVRのプロトタイプをプロデュース。

2020:
インテリアズの1stアルバムからの一曲「Park」が含まれたコンピレーションアルバム「Kankyo Ongaku : Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980~1990」がLight in the Attic Records からグローバルに発売され、同年グラミー賞最優秀ヒストリカルアルバム賞にノミネートされる。

2020:
エフエム福島をキー局にBayFM、エフエム岩手、エフエム仙台、Lucky FM茨城放送など5局のネットワークで放送された情報番組「FirstMaker ~希望のストーリー~」(協賛:経済産業省福島復興支援グループ。2020年11月~2022年6月放送)をプロデュース。

2021:
1995年にリリースされたソロアルバム「A-key」からの一曲「Phlanged Vortex」が含まれたコンピレーションアルバム「HEISEI NO OTO /JAPANESE LEFT-FIELD POP FROM THE CD AGE 1989~1996」がMusic From Memory Recordsからグローバルに再リリースされる。

2022:
1986年にアルファレコードからリリースされたINTERIORのファーストアルバム「INTERIOR」がスイスのWRWTFWW Recordsからアナログ盤でグローバルに再リリースされる。

2022:
1995年にリリースされたソロアルバム「A-key」が、Studio Mule Recordsからアナログ盤でグローバルに再リリースされる。


~現在:
国内外の広範なネットワークを活かした、IPビジネスのインフラ構築に関わるコンサルティングおよび、プロデュース業務を中心に、多方面にて活動中。

以下、現在に至る。

■参考資料:

FM番組バイリンガル・パーソナリティ 実績リスト:
87-89 :「スーパートップウェイヴ」FM東京(全国ネット)
88-89 :「ベイサイドフリーウェイ」BAY FM
89-92 :「ウォール&ブリッジス」BAY FM
92 :「パルス・オブ・ザ・アース」BAY FM
92-93 :「トランスワールド・コネクション」BAY FM
94-96 :「ドリームトレイン・インターネット・パラダイス」BAY FM&KISS FM(インターネット放送も兼ねる)*企画制作プロデュース/パーソナリティ
01~15 :「Jam The World」J-WAVE/担当ナビゲーター (毎週月曜日午後8時から生放送)
2016 :「JOTARO NONAKA SHOW」 CrimsonFM ナビゲーター (毎週月曜日~金曜日午後11時50分~)

以上