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Wednesday, April 12, 2006

【笑激の最新作『立喰師列伝』の押井守監督に訊く】

■押井守監督が自ら解説する、最新作『立喰師列伝』に籠められた思い。

Oshiijam20060411_4 2004年に公開された前作『イノセンス』から早くも2年。今夜のJAM THE WORLDは、昨年から巷で噂に成っていた笑激の最新作『立喰師列伝』が公開されたばかりの押井守監督がゲストです!

滅多な事ではお目に掛かれない押井さんの話が直接聴けるとあって、当日は朝から「アレも訊きたい、コレも訊きたい・・・」とハイテンションな僕でしたが、いざ御本人を前にすると、その控えめな語り口に思わず聞き入ってしまい、アレもコレもすっかり忘れてしまいました。

インタビューの前半は新作の『立喰師列伝』について、そのコンセプトや制作意図などについて語っていただいた訳ですが、なんせこの作品かなりのクセモノ(観れば分かります)ですから、何の予備知識も無く聴いている人には何の事やらチンプンカンプンだったのではないかと少し心配してます。

さらにインタビュー後半では、押井さん御自身が関心を持っているという「格差社会とニート」について語っていただきました。『立喰師列伝』に籠めた押井さんの思いが伝わってくるインタビューに成ったのではないかと思います。

■『立喰師烈伝』に対するオーディエンスの反応は?

「全然分からないですね・・・。僕は基本的に自分の作品の公開に劇場行かないですから。舞台挨拶のときも場内は覗かないようにしてますからね・・・・。怖いんですよ(笑)。映画監督って言うのは、まぁ被告席に座って、『どうぞ裁いてくださいっ』ていう立場ですから、行かないですね。」

■ニセモノのドキュメンタリー「戦後の食文化」

「あのナレーションも、よく聴いていると分かるんですけど、実はデタラメをいっているんですよ。ですからあの“語り口”っていうんですかね、あの嘘くささが好きなんで、喋っていることの内容よりも、あの“語り口”がやりたかった。」

「画が本当のことをやっているときに、ナレーションではデタラメを言っているとかね。ナレーションが本当のこと言っているときに、画では全く関係のないことをやっていたりとかね。両方とも本物っていう組み合わせはほとんどないんです。中に数カットしかない。でも結構、本当のことも沢山入れてるんですけどね(笑)。」

「何となく論旨が通っているようで実は通っていないとかね。とにかく面白おかしく騙す、あるいは騙されるっていうか、そういうことだけしか考えなかった。だから真面目な人は悩むでしょう。」

「基本的にドキュメンタリー映画なんですよね。僕は昔からドキュメンタリー映画を作りたかった。ただしそれは本物のドキュメンタリーじゃなくて、ニセモノのドキュメンタリーをやりたかった。本当の史実ではなくて、僕が生きていた時代っていうか“自分の記憶の中にある時代”っていうんですかね。」

「でもこれを映画でやろうとすると、深作欣二監督の『仁義なき戦い』とかもそうですけど、実写の場合はセットで当時の時代を再現しているのがもちろん沢山ありますが、あんまり感心したことが無いと言うか・・・。登場する役者さんなんかも、結局その時代の人の顔じゃないから、無理なんですよね。」

「それでアニメだとどうかというと、アニメでやるとやたらと手間が掛かる割りには、僕が求めている時代の匂いが出ない。どうしてもアニメーションというと、どこかでファンタジーの世界に成っちゃうから。」

「でも昔の新聞やグラビアに載っているモノというようなイメージでやれば、その雰囲気が出せるかなと思ったんですよ。」

■戦争というテーマについて

「多分僕にとっては“最終的なテーマ”っていうんですかね。」

「ちょっと語弊があるかもしれないけれど、これほど面白いことは多分他に無いんだろうと、人間がやってきたことの中でね。これからも多分繰り返し行うんだろうけど、やっぱり色んな物事の事情っていうか、人間性とかも含めてですね、色んなものの正体があからさまになる特殊な時間だと思うんですよね。だから戦争っていうのは、僕にとっては歴史的な興味っていうのは戦争というものを通して見えて来るっていうか・・・。」

「今回の立喰では3つの戦争を扱っているんですけど、自分の生きていた時代のということで、第二次世界大戦と朝鮮戦争とベトナム戦争。実際にはその後にイラク戦争とかある訳ですが、今回の作品で扱ったのはこの三つの戦争ですね。」

「片っ方でクダラナイ立喰師がドタバタやっているその外側では絶えず戦争があったていうね、そういうバックグランドが僕には必要だった。そこだけは、結構真面目に描いたんですけど、今回の作品では例えば空爆のシーンなんかも観るとあれは実写のフィルムじゃないかって人が多いんですけど、全てCGで創っているんですよね。あれは全部でっち上げてる。」

■格差社会とニートについて

「ニートは、普通に生きてて、大体スタジオの中で仕事してても、そういう話にしかならないんですよね。その辺の状況が感じられますから。そろそろ僕自身がそういう歳に成ってきたというか、僕の周りに居る某M監督とかSプロデューサーとか、みんな自分の息子や娘のことで消耗してますからね。」

「格差っていうより階級社会っていうか。もともと僕等の居るアニメ業界っていうのは階級社会ですから、アニメ業界っていうのはそういう格差社会でいうと、物凄く厳しいヒエラルキーとかの中で生きているわけですから、結構業界にはニートが多いですよね。」

「特に親父がやたら偉いのが多いですよね(笑)。何やっても親父が偉すぎるとどうにもならないっていうのが一つあるのかもしれませんが、どうせ親父には敵わないだろうと、それだけじゃなくてもちろん経済的にも安定しているとかいういうこともあると思いますけれど、諦めてしまう。」

「逆に親父たちがやっていることと私生活のギャップの凄さとかですね、そういうふうなこともあるのかもしれませんね。だいたい映画監督っていうか、映画やっている人間ってのは、映画の中では色んなこと喋ったりね、ようするに偉そうだったりするわけだけれど、現実の家庭生活に居ればどうしようもない親父で、基本的に家に帰ってこないであるとかね、息子たちから逃げ回るであるとかね、ようするにマトモに向き合おうとしない訳だから。」

「割とね、映画やっている人間って現実関係に弱いんですよ。特に僕等の映画っていうのは妄想系の映画なんで(笑)、現実関係に強い奴とかは合わないんですよ。特にアニメ関係はほとんどそうですけどね。」

「だから、どうしても現実の自分の家庭環境とか、奥さんや娘や息子から逃げ回って、それで気がついたら大人に成っていたとかね、そういう家庭がほとんじゃないですかね。」

■団塊のツケとしてのニート

「ひとつにはやっぱりオヤジ達。ようするに“団塊”と呼ばれているあのオヤジ達がですね、相当勝手なことをやってきたわけですよ。多分やりたい放題やってきたっていうか、で今の日本がこういう風に成った、こういう日本を創っちゃったのはあの世代の人間たち。僕らより、少し上の連中ですよね。あれがやりたい放題やってきて、日本がこんな社会に成ってしまった。」

「彼等の姿を見てですね、本当に仕事の上でも何でも、ほんとにやりたいことを勝手にやってきて、その結果できあがった社会からもう逃げ出そうとしてますよね。ボチボチ逃げようかな~って思っているわけですよね。それを我々は一方的に押し付けられているわけだから。」

「気がついたらこういう日本に成っていた、というところから出発する彼等にしてみれば、まぁ突然放り出されたようなものであって、『何をどうしたら良いんだ?!』っていうね、そういう手掛かりを何も残さなかったわけですよね。」

「で多分今の世の中っていうのは、基本的には全体の5%の人間が何となく動かしているんだってことは、漠然とみんな理解しているんですよね。それじゃ残りの95%の人たちは何なのかというと、これは一種の消費単位に成っちゃうんですよね。」

「それはやっぱり消費単位として生きる覚悟とかですね、消費単位としての安寧とか、意地とかね、やることは実は在ったりするんですよ、それなりに。ようするに“賢い消費者”に成るという意味でいえば、彼等に文化の決定権が最終的に在る訳だから、特に若い人達が今の文化の消費者に成っているわけですよね。」

「そこまでの構造が在っても、じゃあ具体的に何が出来るのかっていう方法は、多分何も無いと思うんですよ。消費されないためには、自分の好きな音楽であるとか、映画であるとか、マンガであるとか、そういった部分で自己主張していくしかないんですよね。」

「でも実際はこの生産する部分にタッチできる人間っていのは極めて稀であるっていうことに成っちゃうわけですよ。じゃどうするか・・。とりあえず『何もしない』。僕はそれが原因じゃないかと思っているんですけど。」

「何か対策をっていっても、多分やっても無駄だと思いますけれど、もともとネガティブな意味でのニートっていうのはね、社会復帰させなきゃいけないとか、学校へ行けとか働けとかね。でもおそらく本人はそういう意識に成ってない。」

「ニートであることに対して多少なりとも負い目を持っていれば、何らかのアクションを起こすことで何らかの反応も期待できるんだけれど、もともとそういう負い目も何も無いところに、学校に戻れだの仕事しろだのいったって、おそらく通用しないだろうと思いますよ。」

「まぁ何らかの願望を持っていれば、自分の部屋に居ないと思いますけどね。実際には勝負するとか参加するっていうのは、積み重ねていく以外にありえない。習作を重ねていって、実際には何をやるにせよ積み上げていく以外に無いということが分かっているのに、それでもやらない奴はやらない。それでも参加しないっていうことは、そもそも参加しないっていう強い意志があるんだと思いますね。」

■質的な変化

「東京オリンピックのあたりですね。あのあたりで日本は確実に変わったていう感じ、とりあえず僕の記憶のなかではそうなんですよ。食べ物も変わると当然人間も変わるんであって。」

「それで、あそこまでまであったものを確実に葬り去ったというか、踏み潰して来たんだというね、それはじゃ誰が踏み潰したんだっていう話に成るのかもしれないけれど、多分ね、そのツケが今来てるんだっていのが僕の基本的な認識ですよね。」

「でも、それは別に日本だけじゃないと思うんですよ。文化っていうのは僕はね、映画も実はそうなんだけれども、格差の中にしか在り得ないんじゃないか、とは思っているんですよ。」

「均等に遍くっていうふうな意味で言えばね、もしかしたら経済っていう世界では在り得るかもしれないけれど、まぁそれも無さそうだけれども、でも文化ってものには、一種の地域格差とか世代の格差とか、ある程度ギャップがあって初めて文化が成立するんだっていう気がしてるので、格差が生じることはそれ自体自然過程であって別に悪ではない。」

「結局、個人にしても国家にしても、お金よりも文化を大切にするのか、それともお金を優先するのか、どちらに行くのかというのはあくまで感覚的にどちらに行きたいのか。豊かな方に行くのか、文化を大切にするほうに行くのか、それを選択するということですよね。」

「戦後の日本には、そうした選択を行う機会が何度もあったわけですけど、そこで選択した結果として、今こうして大量のニートを抱えてしまったというのは、そのツケが回ってきただけで、それはその選択の結果としてある訳ですから。」

「とにかく、歴史は必ずツケが回ってくるということですよ。でもそれを負債として考えるのか、それとも与えられた条件として捉えるのか、それによって選択する方向が変わってくる。」

「特に日本は戦後国家としては、政治的にもヘゲモニーを持てないという状況でしたから、とりあえず金を儲けようというところから出発する以外に無かった。それは負債というより、新しく出発するために与えられた条件という風に考えたわけですよね。」

「だから今ある状況っていうのは、その結果としてあるわけで、ようするに単純にツケが回ってきたんですよ。」

■未来の日本

「全く分からないですね・・・。ここに来て、あと2~30年かな、僕が生きたとして、僕はもうあまり何も見たいと思わなく成ってきたんですよね。世の中で色々と起きていることを、別に観たいと思わないっていうか。」

「だから僕のテーマとしては、極めて個人的には『果たして日本がもう一回戦争することが在るのだろうか?』っていうことを考えてますよね。ただ、皆何か思ってはいるんですよ。その思っていること自体が結果的にやる事に成るのかな?と思ったりしてますね。」

「まぁ、割とこの作品はまじめに観れば観るほど笑えるように創ってるんですよ。だからいい加減に観てると、なんだか騙されたとか、不快感ばっかり残っちゃうと思いますよ。(笑)」

以上

April 12, 2006 in Art, Film, Food and Drink, Media, Politics | Permalink

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