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【音楽は一曲47秒でOK!?】

■昨日放送したJAM THE WORLDは、247ミュージックの丸山代表をゲストに迎えて、彼の提唱する「1曲47秒説」について伺った。

といっても、一体何のことやら??だと思うけど、要するに現代においては、携帯をプラットフォームに流通する楽曲は、47秒というサイズがジャストじゃないかというお話。

丸山さんによれば、「最近の楽曲は、意味もなく長い。7分ぐらいの曲が当たり前に成っている。」

「アーティストは相変わらず細部にこだわり、ほんの少しの違いを求めて、わざわざロスやニューヨークでマスタリングしたりしているけれど、リスナーはそんなこと全く気にもしていない。」

「自分は蓄音機の時代から音楽に関わっているが、楽曲のサイズはメディアの特性に依存する部分がある。かつてラジオが音楽の主な露出媒体だった時代には、一曲2分半から3分というフォーマットが当たり前だった。」

「時代は変わり、今やCDで音楽を良い音でじっくり鑑賞するというユーザーよりも、いつも使っている携帯でとりあえず音楽が聴けりゃ良いや~ていう人がほとんどに成った。つまり、着メロ程度のサイズでも、ユーザーにとっては十分だということになっている。」

「一方で、楽曲を制作する側は、楽曲の長さに対する特別な制限がない状況の中で、必要以上に曲をいじって結果的に7分を超えても気にしない。かつてのヒット曲は、ビートルズにしても、ボブ・ディランにしても、曲のエッセンスは30~40秒の中で展開されるワン・コーラスの中にすべて表現されていて、我々の記憶に残っているのは、そのワン・コーラスだけだったりする。」

「音楽の消費形態が変わった以上、供給側も発想を変えて、着メロに最適な長さの楽曲ということで、最初から47秒という制約の中で音楽を表現する、という形があるのではないか、という発想。」だという。

ふ~む・・・。未だに音楽を聴くときは部屋の灯りを落として、スピーカーのセンターに陣取り、好きな酒でも飲みながら、全身全霊をもって音楽に没入するのが当たり前の、ようするに今やオールドスクールなリスナーの僕としては、この発想は理解は出来たとしても、なんとも違和感のある話だ。 

確かに、全身全霊を籠めて鑑賞することが相応しい音楽が少なくなったのは残念ながら事実だし、昔に比べると、やることが沢山あり過ぎて、一日の中で音楽と真剣に向き合う時間も随分少なくなったのもまた事実。

これは多分僕だけじゃなくて多くの人が共通に抱える問題で、携帯やPCの普及で生活全般が便利に成った分、外部とのコミュニケーションに費やす時間が増えた結果、音楽を聴くという目的の為だけに時間を割けなくなった、つまり可処分時間の問題だと思うけど。

だからといって、「音楽は一曲47秒もあれば十分」なんて云われると、思わず反発したくなる。

音楽はそもそも音そのものがコモディティであるとすると、それを伝えるための“乗り物”としてのメディアが、アナログからCDへ、そしてネットを経由したダウンロードへと変遷してきたことは、技術革新はもちろんだけど、むしろユーザーのライフスタイルの変化に沿ったものだから、この流れ自体は今更逆行することはないだろう。

ただし、蓄音機~モノラル・オーディオ~ステレオという再生機器の変化。そして、アナログ・レコード~CDという流れは、音楽の再生能力の向上という、純粋に音楽の体験をより深める方向への変化だったのに対して、パッケージからダウンロードへの移行は、音楽の再現性云々ではなく、単にユーザーの利便性を向上させる方向への流通形態の変化だという部分で意味が大きく異なる。

その点についていうと、1996年に当時リットーミュージックの佐々木会長と共に、ミュージック・シーオー・ジェイピー(現MUSIC.JP)という、世界でも初めてに近い音楽ダウンロード専門のベンチャー企業の立ち上げに関わった者としては、当時はビジネス・モデル自体が早すぎて「ドンキホーテ」呼ばわりされたりしたけれど、やがて今のような時代が来ることは確信していたわけだから、結果的にPCではなく携帯がメインのマーケットに成ったという部分で若干の違いがあるにせよ、音楽をダウンロードして購入するということが普通のことに成ったこと自体は、喜ばしいとは思う。

しかし妙なもんで、いざダウンロード全盛に成ってみると、自分自身はむしろそうした流れとは逆行して、相変わらずCDを店で購入して聴いている。

僕自身は、今も昔も、音楽の入れ物としてのパッケージにも異様なほどのこだわりを持っているし、その姿かたちに執着している。

何故なら、僕はパッケージを含めた全てにアーティストの個としての表現を見るのであって、音のみでの体験にはどこか物足りなさを感じてしまうからなんだけど。

単なるモノ・フェチというか、物理的な所有欲に過ぎないといわれれば、そのとおりかもしれない。

しかし、形のないエーテルのような音楽は、その入れ物との組み合わせによって現実界に固定されやすくなり、我々の記憶に留まり続けるものと成るのではないか。

音楽とは音という質量に対して、時間というツールを使って三次元空間を刻む、時空的な彫刻のようなものだから、ある楽曲が聴くものに対して情動的な印象を与えるためには、それなりの時間と空間、そしてある程度の音量がどうしても必要だと思うのだ。

47秒という時間と、ヘッドフォンという閉ざされた空間で再生される音楽からは、それ相応の時空間的質量しか得られないだろうし、それが本当の意味で音楽的な体験といえるほどのものかどうか甚だ疑問に思う。

一方で、音楽が我々を取り巻く多様なエンターテインメントの中の、単なる選択肢の一つとして流通し、消費されている以上、その流通形態に合わせた音楽のあり方というものが出てきても不思議ではない。

丸山さんはそれが47秒というサイズだと提案しているわけだ。

丸山さん自身は、かつてエピックソニーの代表として、まさに日本の洋楽文化の本流を切り開いてきた人物。本当のところは、より良質な音楽をより良いパッケージで世の中に送り出して行きたいというのが本音だとおっしゃっていたが、その丸山さんが、長年売り手側から音楽業界に関わってきた結果たどり着いたのが、この47秒フォーマットだというのは、どこまで本気なのかも含めて、個人的には興味深い。

「一曲47秒でOK!」なんて云うのは、ある種丸山さんならではのアイロニー的な表明なんじゃないか。決して額面通りに受け止めるべきではない、という気がする。

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